業界トップランナー鍋野敬一郎氏コラム第96回「『秘伝のタレ』をフィジカルAIに変えてERPと連携するユースケース~フィジカルAIとERPがどのように繋がるのかを事例から読み解きます~」をご紹介します。
このたびの令和8年熊本地震によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
連日酷暑が続いていますが、異常気象が毎年更新される事態となっています。酷暑のなか、地震で被災された方々、その復旧にご尽力されているみなさまのご健康と一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。
さて、前回(第95回)のコラムでは、フィジカルAIで企業が儲かるためのポイントとして、「システムの中にある標準データをそのままAIに使うのではなく、ブラックボックス化した独自ナレッジ(秘伝のタレ)をデジタル化して活用する戦略」の重要性についてお話しました。決まりきった手順を自動化するだけでは、いずれコモディティ化の罠に飲み込まれ、他社との差別化にはつながらないという内容でした。差別化のポイントは、独自の強みである「秘伝のタレ」をデジタル化、内部限定ナレッジとして取り扱って、「秘伝のタレ」を実際のシステムやデータ基盤に組み込んでいく必要があるとご説明しました。今回は「システムやデータ」に焦点を当て、ERPなどの基幹システム(IT)と、現場の物理的なデータ(OT:Operational Technology)をどのように統合し、ビジネス価値を生み出すのか、その実践的なアプローチについて考えてみたいと思います。
職人の「暗黙知」をデータ化するエッジAI、現場の微妙な変化の把握が成功の鍵
製造現場などにおける「秘伝のタレ」の多くは、熟練作業者の経験や勘といった暗黙知として存在しています。たとえば、工場における機械の稼働音や微細な振動から、「今日は少し調子が悪い」「そろそろ部品の交換時期だ」といった兆候を感じ取る能力です。これまでの標準的なERPやMES(製造実行システム)には、こうした感覚的な物理データは直接入力されず、結果としての「生産実績」や「不良数」といった実績数値のみが事後的に記録されてきました。しかし、フィジカルAIを真に価値あるものにし、生産性を飛躍的に高めるためには、この「現場の微細な変化」をリアルタイムに捉える必要があります。ここで鍵となるのが、音響センサーや振動センサーなどのIoTデバイスと、それらを現場側で高速処理する「エッジAI」の活用です。
例えば、化学・石化プラントの複雑な配管網や、マイクロガスタービンのような高度な機器の燃焼状態の監視を想像してみてください。これらの機器に音響・振動センサーを取り付け、正常時のデータと異常時のデータをエッジAIに学習させます。これまで熟練者が耳や皮膚で感じ取っていた「いつもと違う」という感覚を、専用のエッジAIが独自のアルゴリズムで解析する仕組みを構築するのです。これが、他社には真似できない独自ナレッジのデジタル化の第一歩となります。つまり、「いつもと違う」をIoTデータで可視化、共有できるナレッジへとアップグレードする必要があります。一見すると、バラバラのデータに見えますが相関性があって、実績数値の先行情報/説明変数と言える関連性を見出すことが出来ます。膨大なデータや些細な挙動から、AIがその相関性を見つけることが出来ます。関連性を見つけることが出来れば、これをそれぞれに繋ぐことで、見える化や予測を行うことが出来ます。つまり、「いつもの状況」と「いつもと違う状況」を見極めるためのさまざまな情報やその変化、変化理由などについてきめ細かく把握する必要があります。そして、いつもの状況といつもと違う状況の変化を、どのように察知するかが熟練技術者の暗黙知の本質だと思います。
ここで、システムアーキテクチャ上の重要なポイントがあります。
それは、「現場で取得した膨大な生データを、そのままクラウドやERPに上げてはいけない」ということです。音や振動といった波形データは非常に容量が重く、すべてをそのまま上位システムに送信すれば、ネットワーク帯域を圧迫し、クラウドのストレージや処理コストが跳ね上がってしまいます。これではコスト削減どころか「儲からないシステム」になってしまいます。だからこそ、エッジAIによる「現場での一次判断」が不可欠になります。エッジAIは、取得した生データを「秘伝のタレ(学習済みモデル)」に照らし合わせて分析し、「異常の兆候(スコア)」や「最適な稼働パラメータ」といった「意味のある軽量なテキストや数値データ」に変換します。この抽出された価値あるデータだけを、セキュアなネットワーク経由で上位のMESやERPへと連携させます。これが、昨今重要視されている「IT/OTデータ統合」の核心です。独自のプロトコルで動く泥臭いOT領域のデータを、エッジ層でIT領域が扱える形式にクレンジング・抽象化することで、はじめて全社システムとのシームレスな連携が可能になります。
「儲かるAI」を実現するIT/OT連携の姿、効果と価値を実感してもらう見せ方とは
エッジAIが抽出したデータをERPに連携することで、ビジネスはどのように変わるのでしょうか。その最大の成果は、従来型の「定期メンテナンス(時間基準)」から、「予知保全(状態基準)」へのパラダイムシフトです。予知保全の効果については、現場で作業に従事する人にとっては周知のことですが、管理者や経営者など表面的な結果やお金(数値)のみで判断する層には全く響きません。懇切丁寧にロジカルに説明しても、その言葉の意味が分からないためいつも議論は平行線となります。悲しいことに無理なコスト削減や省人化が、事故やトラブルを招いても、それは現場の言い訳とされてしまうケースが大半です。こうした人たちは、見えない価値に疎く目に見えるお金や数値にしか興味を示しません。時間をかけて、現場に足を運んでもらい理解を促す取り組みをあきらめずに続けるだけです。災害や火災と同じレベルで、定期的な避難訓練や啓蒙活動が必要となります。
例えば、エッジAIが音響データから「3日後に特定のタービン部品が故障する確率が80%」という予兆を検知し、即座にERPへ通知したとします。データを受け取ったERPは、ただ現場にアラートを出すだけではありません。即座にその部品の現在の在庫を確認し、不足していれば自動でサプライヤーに発注をかけます。同時に、生産スケジューラ(MES/APS)と連動して、故障予定日より前に当該設備のメンテナンス時間を確保し、納期遅延を起こさないよう別ラインへの生産振り替え計画を自動的に立案します。さらには、これらの変更に伴う製造原価や利益への影響(コストシミュレーション)までも瞬時に算出するのです。
つまり、現場の「音や振動」という物理的な事象が、ダイレクトに全社の「在庫管理」「調達」「生産計画」「原価管理」という経営の意思決定に直結します。これこそが、単なる現場の業務効率化にとどまらない、売上や利益を創出し「業績を2倍、3倍に伸ばす」ための、エッジAIとERPが融合した次世代のシステムアーキテクチャの姿です。そして、この答えを引き出す元となるのが、統合データ基盤と呼ばれる仕組みです。
しかし、現実にはこのようにスムーズに物事は進みません。「3日以内に故障確率が80%」という予測がAIから提案されても、これを信じたくないのが人です。結局、壊れてから部品を発注することになり、せっかくの予知情報が役に立たないというケースがよく見られます。スムーズに部品手配をかける仕組みをつくるために、「AIから故障確率のアラートが出たら、管理者は必ず判断しなければならない」というルール変更が必要です。通常業務が忙しいから避難訓練をやらなければ、事故や災害が発生したときに事故や死傷者が発生します。これは人災の典型事例です。目先のことしか考えられない人を責任者にするのは、組織としてやめるべきです。データ活用を実践するためには、データから導かれた示唆(インサイトと言います)をスムーズに通せるようにルール変更(業務の見直し)を織り込むことが成功要因となります。

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- (図表1,現場の“暗黙知”をエッジAIでデータに変える)

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- (図表2、参考:予知保全がもたらす経営へのインパクト)
既にご存じの通り、生成AIや新しいロボットを導入しただけで勝手に儲かるわけではありません。現場に眠る「秘伝のタレ」をセンサーとエッジAIで抽出し、それをIT/OT統合を通じてERPという経営の神経網に結びつけること。この一連のデータフローをデザインし、ブラックボックスとしての強みをシステムに組み込める企業だけが、フィジカルAIの時代に持続的な競争優位性を築くことができます。また、これと並行したデータ活用をスムーズに進めるためのちょっとしたルール変更や定期的な避難訓練的な取り組みを日常業務に組み込むアイディアが必要となります。DXも生成AIもフィジカルAIも、結局のところビジネスを駆動するための道具です。その道具を最も効果的に使うための「データの通り道」をどう作るか。「データ活用のルールが整っているか」などが、これからのIT部門やDX推進組織の腕の見せ所となります。
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